People In The Boxになりたいのかもしれない。
最近People In The Boxをよく聴く、どういうわけだか。前までは女々しい声で何やら難しいことを何やら難しいメロディに乗せている変態バンド、ぐらいに思っていただけなのに。もちろん彼らの音楽性を否定している気は微塵もなく、その時から好きな楽曲もいくつかあった、というか結構好きだった。ただ今ほど聴いているわけでも無かった。
話を変える。
少し前から作詞作曲を始めた。ゆくゆくはライブハウスで演奏することを目標にして。だから毎日色々なコード進行を考えてみて、詰まって、ネットで作曲理論を調べてみたりして。ダイアトニックだかアパマンショップだかアンパンマンミュージアムだか知らないが、頑張っているわけである。
そんな中最近少し良い曲ができた。私にしては素敵な歌詞で、私にしては素敵な進行である。すっかり自信がついた。
そう思っているうちに自宅に先輩がお邪魔してきた。先輩とは週一くらいの頻度で二人でギターを弾き、音作りをし、最近聴いたバンドについて話す仲である。ただ自分が作った曲を「ぜひ!聴いて!ください!」といえる程私は肝が据わっていない。そもそもまだ誰にも聴かせていない曲である。多少の(多が強い)気恥ずかしさもある。しかしどうしてもこの良い曲を聴いてもらいたい、せめてコード進行だけでも。
というわけで私はアーティスト名不明のコード進行をやや得意げにストロークして見せた。
先輩は何となく神妙な面持ちになったのちに
「なんかこれ聴いたことあるな」
と一言。
「何かのアウトロだった気がする」
と追撃。
頭を冷やすために(?)トイレに行ったのち
「分かりました、People In The Box」
と私の息の根を止める一撃。
進行だけみると、まるまるこの曲のアウトロだった。
しかもこっちの方が断然カッコイイ。断然過ぎる。ふざけんな。
私の曲クソダサすぎ。ゲボカスの沼地。堆肥とかも入ってる。
さらにこの曲はこれまで聴いたことのないものだった。知っている曲のメロディと似ていたら「あぁ、知らないうちに意識してたんだなあ」と身を守れる。以前「これ、いいなあ」と思ったコード進行が一寸の狂いもなく『ソラニン』だった時は笑ってしまった。それくらいのダメージで済む。しかしこれは知らない曲だったのだ。もしかしたらこれからどれほどカッコイイ音楽を作っても、知らないところで大被りしているかもしれない、と戦慄すらした。
話を戻す。
その件以来、もしかしたら私はPITBに、波多野裕文なりたいのかもしれない、という気持ちが強まっている。そう思うほど彼らの楽曲がかっこよく見えてくる。女々しい声のボーカルも、バンドの音色や世界観とあまりにもマッチしている。何やら難しい言葉もひも解いていけば随分とかっこいい。
ちょっとずるい。かなりずるい。相当良いバンドだ。
前の記事で「音楽はどこか遠くへ向かっているんだ!」なんてぬかしたが、音楽はPITBに向かっているのかもしれない。なんだそれ。
話を続ける。
そんなわけでPITBのアルバムをよく聴く。
さっきまで聴いていたのは(おそらく)ファーストアルバムである『Frog Queen』
その中で最も印象に残ったのは最後の曲、「一度だけ」。親近効果とかではなく。
(既に二つの動画のリンクを張っているが、どちらも公式から投稿されるものではなさそうだ。大丈夫かこれ。真っ当な人は各種サブスク等で聴いてください。)
「あれ?これ、すげーノイズがしてますけど」というひとり言から始まるカントリー調のイントロ。そしてちゃんと「ノイズがして」いるLo-Fiなサウンド。
この始まり方がなぜか私はとても好きで、聴いた瞬間「ウォッ」と言ってしまった。なぜ好きなのかは、今は分からない。
彼らの楽曲にはこの「なぜかとても好き」という感覚を持ちやすい。理屈とか抜きにした、本能のふぁぼ。バンドをやるならこうあるべきだと思った理想形を、彼らは私の前にただそこにいるという形で、はっきりと示している。
私はPeople In The Boxになりたいのかもしれない。