よい歌詞ってなんだろう
安心な僕らは旅に出ようぜ 思い切り泣いたり笑ったりしようぜ
僕らお互い弱虫すぎて 踏み込めないまま朝を迎える
くるり『ばらの花』の一節。私はこの歌詞が大好きだ。
大学入りたての頃、仲良くなったばかりの同級生と遊んだ時とかこの歌詞を思い出して、「ああ、よい」と思ったりした。
人との仲良し度って、曲線的にグーーーンと上がっていくわけではなくて、忘却曲線みたいにあるタイミングで一気に仲良くなって、じわじわと関係が続く、そしてまた一気に仲良くなるタイミングがあって、それを繰り返していく、みたいな認識を持っている。
その「仲良くなるタイミング」って何か、といったらそれはお互いに本心で話す瞬間だと思う。で!も!でもよ、「僕らお互い弱虫すぎて 踏み込めないまま朝を迎える」わけなんです。私達はいつも「安心」な状態で、行こうと思えば旅にも出れる、思い切り泣いたり笑ったりもできる。で!!も!!でもよ!「僕らお互い弱虫すぎて 踏み込めないまま朝を迎える」なの!!!!
私と、あなた(概念)のことみたいじゃないか。くるりすごいよ~~。
引き延ばしてきた来たせいで、水色になった青い春を、機材を、旅情を、楽団を乗せて走る拘束の飢え
バズマザーズ『ロックンロールイズレッド』の一節。これもすごくよいと思う。
音源を聴いていると前の文脈的に「拘束の飢え」ではなくて「高速の上」だ。歌詞を見てあらびっくり現象が起こる。彼らの何気なさ、アンニュイな雰囲気の影に、誰にも見られないような形で切迫した現実が確かに脈を打っている。歌詞のリアリティが一気に増す。すごいね、山田亮一。
小さな雪の粒も積み重なれば 景色を変えるのは不思議ですね
どうしようもない日も積み重なれば 年月となるのは残酷ですね
amazarasi『クリスマス』の一節。いつか先輩に教えてもらった曲、これも素晴らしいと思う。私達の世界の多面性(多層性?)を鋭く指摘している。
私は上の3つを「よい」歌詞と思わざるを得ない。例え「よい」という感情を「よくない」という感情で塗りつぶしたとしても、それを俯瞰する「よい」がある。そのいたちごっこ。根源的な「よい」を感じているといえる。
では、なぜ「よい」のだろう。
みたいなことをね、去年の12月に書いていたみたいだね。下書きのまま押し入れに入れられているのを、先ほど大掃除の際に見つけた次第だ。「では、なぜ『よい』のだろう」だってさ。思わせぶりな発問だし、どうやら問いの主はその答えを分かっているみたいだ。
いや、わからんわからん。
知らん知らん。
分からんから下書きのまま保存されてんだろ。今となってもわかんないよ。テキトーなこと言ってんじゃないよ。
確かに今見ても上記3つの歌詞はとても良いと思ってる。でもそれぞれの良さは独立している。冒頭の記述は、斜に構えて衒った共通性を見出そうとして破綻したタイプである、きっと。
でも、もしかしたら何か繋がっているところがあるのかもしれない。そんな淡い期待を捨てきれない。「ここまでならどの良さにも存在しているよね」みたいな共通了解があるかもしれない。
だからもう少しだけ、私が良いと思う一節を載せてみようと思う。
夜のGOLD TRAIN
思い出したくない駅も増え
全部本当にしてみたいことがあります
リーガルリリー『GOLD TRAIN』のサビ。「思い出したくない駅も増え」というところが特に好き。床に就くと嫌でも浮かぶ、寄せては返す恥ずかしい記憶や悔しい記憶、悲しい思い出、やるせない過去、思い出したくない駅は増え続ける。各駅停車で、決まった時間に、決まったルートで、汽車は停まる。それでも私達の汽車は黄金色に輝いている。
書きながら泣きそうになっちゃった。もちろん私的な解釈にすぎないけど、そんなもんでしょ、表現って。そんなもんだよね?
世界は丸いというけれど
四角い部屋の中ひとりよ
羊文学『涙の行方』
これすごい。”世界の丸さ”を出して、その対比の形で”四角い部屋”を持ってくる。そして世界という多くの生物が存在する惑星にいるのに、四角い部屋の中で”ひとり”ときたもんだ。急速な場面転換と、聴き手の引き込み方が素晴らしい。
とても大きなものから、一気に小さなものへ。それを俯瞰するもっと大きな”私”という構図があまりにも見事である。
やはり私的な解釈に過ぎないのだが。
理由もないのに何だか悲しい
泣けやしないから 余計に救いがない
ASIAN KUNG-FU GENERATION『転がる岩君に朝が降る』
はじめてこの歌詞を見た時に心を強く掴まれた。「そうだよ!!そうなんだよ!!」と深く、何度も、湿った部屋でうなずいてしまった。
バンドを組んでいるんだ すごくいいバンドなんだ
みんなに聴いて欲しいんだ バンドを組んでいるんだ
なんでいいのかは説明できないけど、共感してもらえるだろうか。
すごく簡単な言葉、簡単な表現、でも良い。
傷つけてくれてサンキュー くるしくて息を吸った
吸った息を吐いた 心がひとつふたつうねった
赤い公園『ジャンキー』
初めて聴いた時叫んでしまった。とてもよくて。なんでいいのかはいまいち分からない。でも「傷つけてくれてサンキュー」並みにカッコイイ言葉ってそうそう無い。
まだまだ書けてしまうのでとりあえずここらへんで。
どうだろう、共通しているところあるだろうか。書き始めたときは「まあ書いてりゃなんか分かるんじゃね」くらいのテンションだった。というか生活においてそういうことって往々にしてある。今回はどうだろう。
すこし、少しだけ感じたことを言う。
私が”よい”と思った歌詞は、どれも”引力”を持っているような気がする。
「お」とか「うお」とかなってしまうような、思わずうなってしまうような。
なんで引力を持っているのだろう。それはどれも私の生活にぴったりと(じんわりと?)根差した言葉であって、歌詞と生活が溶け込みそうになっているからなのかもしれない。生活と言葉が調和し、何かヤバいケミカルな物質を生み出す。それが引力であるように感じる。
なんとなくそれらしいところにたどり着いたような、着いていないような。きっとこれからも、おそらく音楽を避けなければ一生考えることになるだろう。
よい歌詞ってなんだろう。