北極星に行こうとしている

北極星に行こうとしています。北極星に行こうとしているわけでは無いです。

赤い公園『夜の公園』の一節について

「『ちょっと出てきてくれないか』 話の中身はわかっている 誰にも見せない部屋着からちゃんとした部屋着に着替えている」

 

赤い公園『夜の公園』の一節、これすげえいいなと思う。

 

ある夜、曲の主人公は自分が片思いをしている相手に公園に呼ばれる。それも毎度のことで、目的は片思いの相手の恋模様についての相談である。曲を聴いてもらったら一層わかってもらえると思うが、とにかく主人公は叶わぬ恋に思いを馳せていると言っていい。

 

そんな主人公が、想い人に呼ばれて、「誰にも見せない部屋着からちゃんとした部屋着に着替えている」わけである。

好きな人に呼ばれているわけだから、少しでも自分をよく見せたい、洒落込みたいという心理がはたらくのは必然といえるだろう。しかし、夜中なのにパリッパリにめかしこんだ人間が現れたらどうも不自然である。ともかく、着古したでろんでろんのパジャマで行けるわけがない。みられても恥ずかしくない、それでいて少しでも自分が良く見えるように、でも不自然過ぎないシンプルな服装にしよう。

着ている服一枚で悶々とする主人公の姿が思い浮かぶ。行き過ぎた解釈かもしれないが、「ちゃんとした部屋着」に着替える際、本当は「誰にも見せない部屋着」、ありのままの自分を見せたいけれども、引かれるかもしれないからそんなこと到底できない、といった主人公の冷たくて苦いところすらも感じられる。

 

「誰にも見せない部屋着からちゃんとした部屋着に着替えている」

 

曲の序盤も序盤にこの一節を入れ込むところが、とてもテクニカル。

先に述べたように、この言葉には片思いの素朴な感情がやわらかに、しかし鮮烈に込められている。聴き手はこの一節の為に、曲が生みだす作品世界にぐっと引き込まれることになる。曲の主人公を自分と重ね合わせる、あるいは新たな人物を高い解像度で浮かび上がらせることが可能になる。経験したこともない恋愛感情がありありと現れてくる。曲を聴き終えた後、何故か寂しい気持ちになる。だからこの一節がすげえいいなと思うのだ。

 

 

赤い公園『夜の公園』を聴くと、自分の中の乙女解像度がギラギラと輝き、奮うのを感じる。ただ、高解像度の持ち腐れになってる感は否めない。