『1984』を聴いて、見据えるもの
親たちが追いかけた白人たちが ロックスターを追い掛けた か弱い僕もきっと その後に続いたんだ
作詞者の小山田壮平は1984年生まれ。だからこの歌は彼自身の懐古的な要素を持っていると推測できる。というか、それが妥当だろう。
面倒くさいからここで現代日本を振り返るようなことはしたくないが、1984年、文化や価値観や生き方がぐちゃぐちゃにかき回され、何かある形へと落ち着こうと崩壊と形成を繰り返す時代。きっと。ずいぶん無責任なことを言っている気がする。
とりあえずそんな時代に彼が生まれたとする。
彼の親たちが学生の頃熱狂したのは海外スター、「白人たち」である。
そしてそんな「白人たち」が追いかけたのは「ロックスター」である。
その憧れの系譜の中に生まれた1984年の「僕」も、か弱いながらもその後に続いていく。
「ロックスター」から「白人たち」、「白人たち」から「親たち」、「親たち」から「か弱い僕」へ。そしてこの流れは続いていく。
文字にして43字、たったの8小節でこれほど厚い時間のイメージを生み出せるのかと、聴くたびに感動する。そしてこの歌詞は「僕」から見て過去、さらに過去、そして今、つづいて未来、というように聴き手の時空が息切れするほど移動するからとてもユニークだ。
1984年の彼らが引き継いだ流れは当然、私にもつながる。そんな私は何を追い掛けるのだろうか。