音楽はどこに向かっているのだろうか
どっこいこんばんは。時間は夜。だから「どっこいこんばんは」。
過去の記事を見て「私はこんなことを...(考えていたのか)」と思うことがしばしばある。記事に限らず、ツイートとか、ルーズリーフのはしがきとか。そういう経験を何度もしていると、私の思想や価値観が成長している、かどうかは分からないけど確実に変化していることを実感する。だから「どっこいこんばんは」もいつかの私の為の、いまの句読点なのである。
急ハンドルを切って今日のテーマに向かうが、
「音楽のゴールって何だろうね」
プランクトンからガーーーって進化して私達今人間だ。
おそらく私達がサルぐらいの頃から、切り株とか枝とか木の実とかで音楽を始めていたに違いない。上等でいい音が鳴る木を「ギブソン」と言っていたのかもしれない。まあそこら辺をスタート地点とする。
そしてさっきと同じ要領で音楽もガーーーーーって進化してきて私達今の音楽を聴いている。確実に進化してきていると思う。時折退化もしているだろうが、音楽は絶えず変化し続けている。音楽のゴールって何だろうか。というよりも、
「音楽はどこに向かっているのだろうか」
が適切なような気がしてきた。
現時点での私の考えを述べるなら。
答えは「”どこか遠くへ”向かっている」である。
答えになっていないと思った人はいるだろうか。「どこに向かっているのか聞いているのに、『どこか遠くへ』って...。そのどこか遠くがどこなのかきいてんだわ!でっかいおはぎで窒息しろ!アルパカの背で寿命を迎えろ!!」 性根が優しい人がいるね。ありがたいことです。
だから私はダブルコーテーションを付けたわけだ。
音楽は”どこか遠くへ”というゴールに向かっているのだ、と私は思う。
例えば皆さんにとっての最高の音楽を挙げてみて(私ならハヌマーン、ナンバーガール、きのこ帝国等)、それを超超大好きになった瞬間を思い出して欲しいのだ。
自分の意識がどこか知らない場所へと遠のいて、精神が高次に向かう経験をしなかっただろうか。
もっとくだけた言い方をするなら、「脳汁ドッバーン出て、キンキンにイキそうになる」経験をしなかっただろうか。
自分と外界の境界が分からなくなるような感覚。自分と音楽が一体になっているような感覚。
”どこか遠くへ”とはその経験のことを指しているのだ。
私達は生きながら様々な音楽を聴いて、その度に様々な感動を持つ。その感動の最上級が「どこか遠くへ」という経験ではないだろうか。というかそうだろう。最高なんだもん。
そして私達はその経験を忘れられないから新たなアーティストを開拓していくのではないだろうか。というかそうだろう。もっと最高が欲しいんだもん。
さらに音楽を演る人々は、その経験を自ら引き起こすことを自身の音楽活動の本質としてはいないだろうか。というかそうだろう。だって最高なんだもん。
私達は「どこか遠くへ」と目指し、彷徨う。それも「どこか遠くへ」の断片ではなく、より本質的な「どこか遠くへ」
すなわち「どこか遠くへ」の中にある「どこか遠くへ」
ロジックがゴミクソだが、私の言いたいことを分かってもらえただろうか。
音楽は”どこか遠くへ”向かっている
純度100の”どこか遠くへ”
書きながら思ったのだが、なんかこれってドラッグ使用した時の症状に似ている。
私の定義をもっとフランクにするなら
「音楽は覚せい剤に向かっている」
だろう。
またね。